木原滋文の島人コラム Vol.5

 

陰暦雑感

秋の彼岸も過ぎようというのに、まだ蝉の声がしきりに聞こえる。
つくつく法師と、正式な種類は知らないが、ここらでは「つんげ」と言い、夏の終わりと秋の訪れを感じさせる蝉である。

「つーんげつんげつんげ ぼーんなそけきた(盆はそこに来た)という言いなし(また聞きなし)を子どものころ口ずさんでいたことを思い出す。
当時(昭和20年代)は、お盆は陰暦(旧暦といっていた)で迎えていた。
母の実家にお参りに行き、月明かりで帰ってきたことを憶えている。
七夕もしかり。
なぜ現在のようになったのかは、屋久島の暮らしの変遷と関係がありそうだ。

今年の場合、陰暦はうるう年(屋久島ではよい月〜より月の意か〜)で7月が二回あり、お盆は9月になる。
だから「つんげ」も今頃まで鳴いているのかもしれない。
もっとも旧暦のお盆はとっくに過ぎてしまったが。

言うまでもなく、太陰暦は月の周期をもとに作られた暦である。
ただ季節との関係でほぼ5年に2回、一年を13ヶ月にして調整する。
しかし、太陽暦のように2月を29にするというように決まっているわけではなく、5月の年もあれば今年のように7月だったりする。

農家は種蒔きや苗の植え付けを旧暦を見ながら行なっていたようだ。
特に今年のように「よい月」の年はなおさらだ。
漁師も大潮小潮、潮の干満を考慮しながら漁を行なうという。
私も中学・高校の時、飛び魚漁に行った経験があるが、大人たちが今日は大潮で満潮が○○時だから、飛び魚が動き出すのは××時ごろだろうと話していたのを思い出す。

また生き物の生死とも深い関わりを持つ。
誕生は満ち潮の時、死亡は引き潮の時と言われる。
このように陰暦は人々の暮らしと深く結びついていることがわかる。
最近のカレンダーは陰暦どころか満月の記載さえないものが多い。
面倒だが日めくりの暦が懐かしい。

 

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